サイレントヒルの歴史を振り返ると、数々の苦難を乗り越えて、いまの発展があることがわかります。
ルーツとなる村が存在した16世紀から、誰もが忘れることのできない事件が起きた1990年までを遡ってみましょう。
16世紀以前
この地での先住民達による、土着信仰の場が始まる。
TOPIC:まだ町の名前はなく、“静かなる精霊の眠る場所”と呼ばれていました。
・16世紀~18世紀
入植が始まる。
伝染病の流行期により、町の住人の大半が死亡。程なく町は捨てられる。
1800年代
・1810年頃
町が再興され、“サイレントヒル”という名で呼ばれるようになる。
伝染病が蔓延。ブルックへイヴン病院が設立。
・1820年頃
画家アレン・スミス、サイレントヒルを題材に『水辺の風景』を描く。
・1840年頃
サイレントヒル刑務所が閉鎖される。
・1850年頃
ウィルツ炭鉱で石炭が発見。町の経済が大いに潤う。
・1861年
南北戦争が勃発。エドワード・チェスター、パトリック・チェスター父子が参戦。
・1862年
南北戦争の捕虜収容目的で、トルーカ捕虜収容所が設立。
・1866年
南北戦争が終結。それに伴いトルーカ捕虜収容所がトルーカ刑務所へと名称変更。
・1890年
サイレントヒルで失踪事件が相次いで発生。
1900年代
サイレントヒルおよびトルーカ湖で洪水が発生し、疫病の蔓延とともに多くの囚人が死亡したことを契機に、トルーカ刑務所が閉鎖される。新たに、跡地に“サイレントヒル歴史資料館”が設立。
TOPIC:サイレントヒル歴史資料館の設立の背景には、「悲劇の歴史を忘れないために」という志もあったのかもしれません。
トルーカ湖を中心として、サイレントヒルの観光事業が始まる。
・1918年11月
トルーカ湖で遊覧船リトル・バロネス号が消失する事件が発生。
・1938年
湖に無人の遊覧船が漂着。同時に湖に漕ぎ出していた高校生グループが行方不明となる。
1960年代
当時のサイレントヒル市長をはじめ、観光事業関係者が次々と急死。
・1993年
大学生のオカルトサークルメンバーが、トルーカ湖に漂着したリトル・バロネス号を発見する。
・1990年代
連続殺人“ウォルター・サリバン事件”発生。
TOPIC:ウォルター・サリバン事件は2000年代まで続き、多くの犠牲者を出しました。サリバンは逮捕され、拘置所で自害したことで事件の幕は下ろされています。